どうなることが幸せなのだろう。子供のころは自分のやりたいことだけをやっていた。めんどうなことはみな家族がやってくれた。自分には自分を認めてくれる世界がきっとどこか遠いところにあるはずだと信じられた。そんな時代に、戻れることが幸せなのだろうか。そんな時代を失ったことがつらいのだろうか。
自分を認めてくれる世界がどこかにあるという思いは、自分をジョブホッパーにしてしまった。
若ければ、確かにまだ何かを目指す時間はあったかもしれない。しかしもう自分はこれから伸びる若い芽ではないのだ。いまの時点で認められている程度まででしか認められることはないだろうし、多くの場合、もっときびしい目でしか見られないだろう。