デリバリーヘルスについて語りだす人間を人はゲス野郎だと考えるだろう。私は学生時代、大学の高層図書館から狭い道路を一本挟んだだけという、大学の真裏のアパートに住んでいたが、そこの駐車場の脇には電話ボックスがあって、ボックス内はデリバリーヘルスのシールやビラで埋め尽くされていた。さすがに周囲が学生で埋まっているアパートでデリバリーヘルスを呼ぶことは考えなかったが、東京に本社がある会社に内定をもらって東京や大阪で研修にいった際にホテルに泊まる時にデリバリーヘルスを呼んでみたことがあった。
高校時代もクラスの4分の3以上が男子であり、大学時代に至っては男女比が10分の9以上が男子であったような学生時代だったこともあるだろうが、私は女性と会話することすらままならない奥手に育ちあがったため、荒療治が必要だったのである。社会人になってしまったら、女性と会話するのがままならないなどというのは極めて大きなハンデになってくる。
今にして思えば、そんな年端もいかない童貞が年季の入った変態たちを相手に日夜戦ってきた歴戦のプロと密室の中で二人きりになってしまえば、飢えた猛禽類の檻に格好の餌食を放り投げたようなことになってしまうというのは想像に難くないのかもしれない。私は調教され、開発され、すっかり奴隷になってしまったようなものだった。
私は当時のブログにそんな逸話を書いていたが、同時に就職についても書いていた。入社してすぐの新入社員研修のときに、ブログのことで会議室に呼び出されて当時の人事部長から始末書の提出を求められた。顧客企業からの電話で知ったそうである。検索である社名を検索すると、上位に私のブログが出てきて、なおかつデリバリーヘルスのことが書いてある状態だったのだ。デリバリーヘルス関係の書き込みを消すように求められそのようにした。
配属先に配属され、その年度が終わるころになって、今度は配属先の偉い人に体調不良で会社行事を休んですることがなく近くの本屋でタバコを吸っていたら会社の営業の人に出くわして気まずかったというブログ書き込みについて本社から連絡があったのでブログを消せ、始末書を書けといわれたのだった。私は書き込みは消すけれどもブログは消したくないと言っていた。いくつか異動の話が出て、立ち消えになった。最後に、断ったら業務命令に従わなかったということになり懲戒解雇になるといわれて断れない異動の話になってしまった。私が逆の立場だったら迷わずに辞めるよとも言っていた。半年後に不況が来る、その時に辞めても行く先はないがいま辞めればまだ次は見つかると言っていた。私は辞めずに異動した。会社は自分を辞めさせようとしているなと感じながら意地で残っていた。とんでもなくきつい仕事を異動後にさらに三年耐えて、祖母の死や震災などを経て、情報セキュリティスペシャリストの資格を取って開発に戻してくれるよう打診してみた。しかし社内では開発はやればやるほど赤字になり、運用で黒字を出している状態だったため異動先はないらしかった。社外に開発の仕事を求めるのも選択肢だと促されて、ようやく辞めることになったのだった。
あの頃のブログは、そのあとも長く維持していたが今はもうない。無くしてしまった今となっては、あんなものにこだわらなければ、自分は社長あての始末書を3枚も書いて飛ばされることにもなっておらず、目立たない人間として地方の片隅に埋もれるようにして平和な日々を過ごしていた可能性もあるのかもしれないと思ってしまう。でもあの異動がなければ、首都圏で転職活動することもむずかしかったろうから、いろいろな転職サービスに登録して東京中で自分を売り込む営業活動を経験することもできなかったかもしれない。何百社と面接を受け続けたあの日々がなければ、自分はもっといろんなことを勘違いしたままで生きてしまっていたかもしれないのだ。それを思えば、何一つ無駄ではなかったともいえるかもしれない。あんなことさえなければと思えるようなこともすべて、必要なことだったのかもしれない。