警察に通報した

 今日は午後まで寝ていた。昨晩の10時ごろに通報したはずなのだが、時系列は覚えていない。それから目が覚めては寝、寝ては目が覚めを繰り返していた。このまま寝て過ごそうかと思ったのだが頭が痒くフケが枕に付着してきたので枕をはたいて歯磨きし髭をそってシャワーを浴び洗濯をした。今日は風が強いが、風呂上がりの熱い身体にぬるめの風がかえって気持ち良かった。

 警察の方は大抵、2人一組で行動する、と棒警備会社の方が言っていたが、直近来てくれる警察の方は一人で来ることが多くなった。おそらく近場の交番から自転車で来られているのだと思うし、いつだったかそのように言っておられる警察官もいた。

 隣室のベトナム人は、大人しくなった。明け方まで起きてはいたようだが、どでかい叫び声はささやき声になった。警察がたずねてくるということはやはりそれなりにメンタルにダメージを受けることなのだと思う。通報しているこっちまでメンタルにズドーンと重たいダメージを受ける。トラウマ的な心的ストレスを受けるため、発作的な叫びを上げようとしても声がでないのかもしれない。

 人に迷惑をかけているぞということは、同じような迷惑をかけられれば気がつくものだろうと思っていたが、自分が同じことをしているのだという事がわからなくなってしまうと、暴力の強いほうが弱いほうにトラウマを与えて黙らせ合うということになってしまう。法治国家においては、個々人の暴力は単純に迷惑行為なので統治権力による介入によって治安が都度都度保たれるように働くのだが、国家間での同様の事態には国家間に介入できるようなメタ的な超越権力が存在しないために国際世論という名の、ある種の巨大な自治権力によって論争を通じて正義が戦わせられる。超越権力ではなく、代理戦争の形をとって、脱法的なテロ組織が表面で動く場合もあれば、テロ支援国家のレッテルとそのレッテルへの異議との間の間合いに応じて、旧西側、東側あるいは特定の宗教共同体とまた別の宗教共同体との間の摩擦へと対立軸は収斂していくのだろうか。