41歳厄年の一年を振り返るぞ

 今週のお題「今年の目標どうだった?」

 せっかくなので、お題の件について考えてみようと思う。

 今年の目標ということなのだけれど、どうも過去記事を振り返ってみると、特に目標をたてていたわけではないようだ。去年の年末は、急に精神状態が悪くなり、椅子の背もたれが目に突き刺さってくるのではないかとか、触ったものが壊れるのではないかとか、人生がダメになるのではないかといったような感覚に苛まれたり、一日があまりにも長く感じられて時間の流れが遅いと訴えたりしていたような状況だった。10種類以上の薬を処方されていて、あまりにも薬が多くて服薬に手間がかかり、薬を減らして欲しいと訴えていた。そうして、年始に実家に帰って初詣に行った帰りに、突然大地震が起きたのだった。ただでさえすべてがダメになるように思えていたのに、実際に大地震で家がきしみだし、すべてがガタガタと揺れて崩れていくような気がした。ラジオのアナウンサーは津波がやってきます、今すぐ避難してくださいと絶叫していた。世界が終わるのだろうと思ったのを思い出す。皆、高台や山にむかって非難を開始し、渋滞がおこりはじめていたと言われている中で、父も母もあきらめたような顔をして、お前だけでも避難しろと言ったのだった。すべてがショックだった。

 あれから今年は何度も帰省をした。1月、2月、6月、10月。地震のことは皆すぐに忘れたように日常に戻ったように思う。お盆にも帰省すると伝えた時、来なくていいと言われた。そのころ、私は住所変更の手続きに追われ始めて、実家にも何度も連絡をとった。その中で、特殊詐欺の電話がかかってきていることが分かり、県警に助けを求めたのだった。偶然タイミングが合ってよかったと思う。あのタイミングで実家に連絡をしていなければ、異変に気がつくことはできず、どうなっていたのか分からない。

 今年は、結構主体的に動けるようになりはじめた一年だったようにも思う。今までは、結局、依頼されてから仕事を進めていくという風な仕事の仕方をしていたのだけれど、自分からやる必要のあることを提言して、自発的に仕事をすすめていくように動けていた気がする。上司から見ても、こいつはほうっておいても色々なことをテキパキすすめてくれる奴だと思われていたらいいなと思う。

 あとは、体重が3月頃に78キロまで増量した後に、現在の62キロまで激減した一年だった。BMIが標準体型に戻った。

 そして大量に薬を処方されていた通院は4月末で終了し、それ以降はメンタル系の薬がいらなくなった。メンタル的には、思考力や記憶力が戻ってきた感じがしている。そのころから極度にブログの書き込み量が増えた。

 一年を通じてひっかかり続けていた血液検査も、先日スルフォラファンサプリメントを飲み始めたおかげが急に正常値に収まり、年明け1月の再検査でも結果が良ければ、そちらの薬も減量できそうである。この血液検査は一カ月半周期で一年中受け続けていて、ブロッコリースプラウトを毎日食べてみたり断酒したりウォーキングしたり色々してみたが中々いい結果にならなかった。それが調べてみると以前ひっかかっていたときはスルフォラファンサプリメントで基準値収まったのを思い出し、スルフォラファンサプリメントをとりつつプロテインをやめたら、基準値に収まってしまったのである。それが断酒以上に効果があるということが、信じられないことだが事実だったのだ。

 そうして、もう一つ思い出されるのは、電子書籍関係で知り合った元カノや元カノとの共通の知人に絶縁された一年だったなということである。今年の頭には、銀座のリストランテポルトファーロで4人で食事をし、その場のお金を私が支払った。その直前には、日本海カニを送ったりもした。数か月後にはその共通の知人にブロックされて、その後元カノも愛想が悪くなり、5月末に元カノにもブロックされた。どうにか機嫌をもどしてもらおうと手紙を届けたりしたが、何の返信もくることはなく、先日ついに、警察がやってきて、私にもう元カノに今後一切関わりませんという紙を書かされ指紋をとられるに至った。

 最後に忘れてはならないのは、通院を終えた反動なのか5月には突然米国株に手をだして大やけどを負ったことも忘れてはならない。もともと、信用取引で大きな損を出していたのが、5月にさらに数百万の損を出した。これは本当に大きなショックだった。その時に父から電話がかかってきたとき本当に言い出せずに、父が早く結婚して孫の顔をみせろとほのめかし、一度連れて行って会ってもらったことのある元カノの話題が出たため、せめてもの親孝行をしなければと元カノに焦って告白したことが、元カノとの仲に対する火に油だったのかもしれない。ものすごい勢いですべてを失っていき、体重が激減していく中で精神はどんどんハッキリして、ものすごい苦しみに真っ向から焼き尽くされるような心境だった。

 ただ今年は、いいことも一杯あった。

 地元の友人の一人コットン氏が家に泊まりに来たことがあった。結局別れたけれど元カノも出し巻き卵のつき方を家まで教えに来てくれた。免許更新もできたし、住所変更もできた。父と地元の海辺のテーマパークに行ったことも良い思い出だ。多摩センターに行ってみたり、橋本の映画館にいったり、越谷レイクタウンに行ったり、サザンテラスに行ったり、イオンモール日の出にいったり、イオンモールむさし村山にいったり、町田にいったり、府中にいったりすることができた。八王子祭りに行ったり花火大会も観た。渋谷にポケモンGOをしにいったりもした。数年ぶりに南大沢の映画館にも行った。コロナ渦での自粛以降もぜんぜん外出できていなかったのが、今年はかつてないほど色々なところに出かけていたように思う。転職ドラフトに登録してみたら、今の2倍もの年収で指名をもらえたりもしている。地元のITエンジニアのイベントにも顔をだしてみたりもした。人生まだまだ、捨てたもんじゃないような気もしている。これからまだまだやっていけかもしれないと思いたい。