新年度

入学式のような行事が、いろいろな学校で同時に行われたようだ。若い学生たちや、正装した親子連れの列がわさわさと群れのように歩道を埋めているのを脇にみながら、一抹の寂しさのようなものを感じた。自分にはそういう人生はなかったのかなと思う。振り返ってみても、チャンスのようなものはほとんどなかった。そこには身軽さ、ある種の気楽さがある反面、寂しさのようなものももちろんある。しかしそれでいいのだろう。自分で選んで歩いてきた迷路なのだから。

確かに私は厄年だけれど

それにしてもすさまじい一年のはじまりだった。

みそかに紅白をシラフで見て翌朝に新幹線で帰省していたのだけれど、地元で初詣をしてひまつぶしにケータイをいじっていたら震度7地震が起こったのだ。父も母も避難しようとせずあくまでも家を守ろうとしていた。揺れはなんどもなんども執拗に繰り返され、そのたびに緊急地震速報がなり、ラジオのアナウンサーは今すぐ逃げてくださいと絶叫していた。私は目の前の現実がかなり切迫したものなのかどうかわかりかねていた。近所の住民は車でどこかへ移動を開始していくのもみた。高台へ避難するのだろうと思った。ぼくたちもそうすべきだった。一体、今日来たばかりの自分に父と母をどう説得できたのだろう。そうでなくても、僕たちはいつもすれちがってばかりいるというのに。

生きるということは繰り返すことだ

僕たちは仕事をし、買い物をし、排せつをし、食事をし、歯を磨いて、風呂に入って、寝ることを繰り返している。飽きることもある。この先になにがあるのかと絶望することももちろんあった。けれど、薬でなんとかごまかしごまかしやっている。考えてもしょうがないことを考えるよりもいまできることを解決したほうが、将来も明るいだろう。きっと。