どんな仕事をしていてもそれはそんなに重要じゃない、肩書も会社規模も大した意味はないと思えていた。それらが保証してくれるのは年収であって、年収は株で確実に勝てるスキルが存在するならどうにでもなるのだと思えていた。そう考えられるということは大きな救いだった。自分は美容整形の第一人者の息子に生まれてはいないし、親の美容整形外科チェーンを継いで裕福な医者として活躍しているわけでもなく、ユーチューバーとして有名なわけでもない。そういう人間でなくても、株のスキルで勝てれば同じような暮らしはできるはずだと信じられるからであった。でも実際には、貧乏人が金持ちに株で勝つためには、スキル以上にものすごい幸運が必要なのだった。金持ちは運任せではなく確実に利回りが得られる安定した投資先に、ものすごい大金を置いて確実に大きな金額を不労所得として得ることができるだろう。貧乏人が同じことをしてもなんの利点もない。貧乏人は運任せのギャンブルをやって元手を得なければ金持ちと勝負できる土俵に立てない。そして運任せのギャンブルをやっている限り、必然的に相場に負ける運命が待っている。
株をやるかやらないかの問題以前に、安全な投資先にだけ張るべきだということがある。そして貧乏人が安全な投資先に張っていても、小銭しか得られないのでやる意味がなく、大金持ちは大金を安全な投資先に張って、貯金よりも高い利回りを確実に得てますます富を肥やしていく。元手になるものがどれだけ大きいかによってはじめからついている差を覆すことはほとんど不可能なのだ。収入が高く、安全な金融商品に投資している人に対して、株だけで逆転を試みるのは愚かなのだと思えるようになった。