地元の友人の父が亡くなったらしい。
聞くと、私の父と同じぐらいの年齢だったそうである。私の父は75歳ぐらいで、彼の父は74歳で亡くなったそうだ。私の父と母は10歳ぐらい離れていたと思うので母も65歳ぐらいになっている。
父も母も元気は元気だと思う。昭和風の質素な暮らしをしており、もっと贅沢して楽に暮らして欲しいと思うのだが、頑なだ。
自分もいつのまにか41歳になっている。父のむかしの友人などは皆、孫やひ孫の顔が見れているそうだ。自分は結婚を諦めていたわけではなく、もっとお金がなければ希望の相手と結婚することはできないと思っていた。お金さえあれば、誰と結婚しても幸せになれるだろうと思い、しかしまだ十分なお金はないしお金を稼げる状態にもなっていないと思っていて、それでまだ先だと漠然と思っていたのだ。
でも、親が元気なうちに孫に会えるようにすることが親孝行だとするなら、かなり遅れを取っていると急に自覚した。そもそも、41歳になってしまうと、子供を産める年齢の相手と結婚することもだんだん無理になってきている。35歳を超えてくるとすでに高齢出産ということになってくる。元カノと出会った7年前の時点が、ギリギリの最終ラインだったのだという気がする。
でも思い出してみても、あの時点で子供を産み育てていけるような状況だったかと言われれば、職も安定しておらず、収入も不安定であり、とてもそんな余裕がある状態ではなかったと思える。それよりも若い時点であれば、もっと不安定で、もっと危うい状況だった。なのである意味では、後悔しようもない、他にどうする道もなくやむを得ず結婚も子供もできなかったという感じだったと思う。
子供を作る事に不安もあった。自分の子供が、健康に生まれてくるのかどうか不安だった。自分と同じように不健康でスレた精神のあまのじゃくが育ってしまうと、本人にとっても幸せではないかもしれない。元カノも、自分のような不幸な子供を産むことはしたくないと言っていた。
そう思ってふりかえると、やはりどうなっていたとしても、仮に元カノとうまくやれていたとしても親孝行はできていなかったと思う。ましてや今、元カノとよりを戻すことができたとしてももう孫を作ることはできないと思う。
可能性があるとしたら、まったく別の健康な相手とめぐりあって、その人との間で自分の悪いところがなにも遺伝していない健康な子供が生まれてくることにかけるぐらいしかないのではないだろうか。冷静に、目の前に宙ぶらりんになっている課題を冷静に頭だけで考えて解決策をさぐるなら、がむしゃらに、元カノとなんとかなる可能性に焦ることが正解じゃないのではということも、なんとなく見えてしまう。いわれたこと、期待に応えることを焦るあまり、まちがったヒントをそのまま信じてなにをやっているのかわからないような失敗に陥ることはさけねばならない。何が解決策になるのかは、自分事として自分で道筋を見極めなければ、誰もそこまでは見てくれていない。なぜなら自分がそこまでちゃんと報告連絡相談をしてこれていなかったのだから。