解雇規制緩和ということを小泉進次郎さんが提唱していることについて色々考えていた。
私は、氏の政策がとおった暁には真っ先に解雇される立場の人間なんじゃないかなと思っている。転職してきて、体調を崩して、辞めようとしていたところを拾ってもらい、ものすごく給与が下がることを条件に今の部隊に異例の居場所を設けてもらった。
痔ろうになり、肛門が手術で一時的に二つになっていた時期さえあったけれどもなんとか生きてこれたのは、辞めようとしていた自分を拾って居場所を与えてもらえたからだと思っている。
幻聴が聞こえて、警察が私を捜索しているのではないか、通報したはらいせに復讐されているんじゃないかと思って、声の聞こえるままにパソコンを分解して盗聴器を探したりALSOKの盗聴器調査を依頼したりしたこともあった。町内の土建屋さんが親玉なのではないかとか、近隣の建物や電柱から電波で攻撃してきているんじゃないかとか声の聞こえるままに思い込んでいたこともあったが、なんとかもちなおせたのは、その状態でも休職させてくれて、路頭に迷わないですむようにしてくれたからだと思っている。
椅子の背もたれが突き刺さってくるとか、マウスやパソコンがさわっただけで壊れるような気がしていた時期にも、休ませてもらったりしていた。
最近は休むこともなくなり、健康になったと思っていた。もう自分はこれから将来の心配をせずにここでがんばっていけるのだと思っていた。
でも、解雇規制緩和があるべき姿だとすれば、私のような立場の人は、これからはもう面倒を見てもらえないことのほうが多くなると思う。私が健康になったからといって、それじゃあ急にもとの待遇に戻れるかというのもたぶんそこに関わってくる問題なのだろう。いままで大目にみてくれていたのだから、回復したからといって急に評価がみなおされるというのは違うのかもしれない。身の丈をわきまえた立場でがまんするべき借りのある身なので、その分はがまんすべきなのだろう。そのうえで、社会情勢が変わって来ていて、次はもう、大目に見てもらえなくなるのだろうな、とそんなことを思って少し、悲壮感を感じたりしている。
来週、社長との面談があり、年俸が更改されるようだ。上司は年俸が下がることはないように頑張ると言ってくれていた。決めるのは上司のそのまた上司である。でも、面談はさらに上の社長との面談となっている。いつもそうだし全員そうなのだという。今まではずっと、上司の上司との面談で決まっていた。もしかしたら、上司も上司の上司でもどうにもならない力で、会社としてのなんらかの方針によって、今度こそ自分は、最後通牒を突きつけられることになるのかもしれない。
時代が、そういう風になってきている。なにかそんなことを思って、悲観しはじめている。