なんで40キロ歩けると思ったのか

 歩きつづけた理由としては、19時からの集まりにいくのが億劫で歩き続けたということがあるかもしれないが、そもそも、歩き続けていれば到着するだろうという風に思えたのはなぜなのかということがあるだろう。

 一度も通ったことのない道を歩いていくのだから今までの感覚で言えば、迷子になってしまうだろうし、Google Mapをみながらいくのだとしても、それでは面倒くさすぎるだろう。だから今までなら不可能だなという風に考えたと思う。

 でも、二週間ほど前なのか、道の駅に行こうとして道を逸れて、16号線をずっと走り続けてしまったことがあった。この時、カーナビで目的地をセットしなおすのも面倒で、どうせどこまでいってもガソリン満タンにした直後だし、時間もいくらでもあって、どこへでもいってもいいんだ、目的地がないのでどの車線を走っていようが、どこをどう走ろうがゴールがないならどこも正解なんだという気持ちになった。そうするととても自由を感じて、カーナビをにらみながら道を間違えただのなんだの言っていた今までの自分が小さく思えた。むかしはそもそもカーナビなどなかったはずだ。そんな時代に両親や祖父母は運転していたのだ。いまはどこまでいっても、帰りはカーナビを使えば、時間さえ十分にあれば帰ってこれる。そして自分にはその時、十分に時間があった。8時間あれば、栃木から富山まで日本列島を横断できることも経験している。このままいっても全然大丈夫だ。そうして、結局南町田グランベリーパークまで行ってしまい、たまたまマッチングアプリで聞いたことがある場所だったので行ってみて、そして帰ってきたのだった。そして、国道16号というものがどういうものなのかインターネットで調べて知り、今更ながら国道というのはすごいなと思った。地元でも国道は当然あるのだが、そういう風にどこからどこまでつながっていると言う風に考えたことがなかった。だが、国道の看板にはどこどこまで何キロという表示がある。その矢印にしたがって進んでいけば、本当にそこまでつながっているのだ……。

 そのことを今更ながら知った時、新宿まで23キロとか書いてあるなと立川まで歩いた時点で思い、23キロなら歩けるのではないかと思った。3、4時間で15キロぐらいウォーキングしたことがあったのではなかったかと思いだした。そうしてずっと歩き続けたのである。