風呂に入ってなぜか自分が追い込まれていた

 メンタルが追い込まれていた。

 自分は、いままでこういうことに免疫がなかった。だから、こういう状況に対峙したときに相性が良すぎるかあるいは悪すぎるのか、とことんのめり込んで精神が追い込まれていってしまうようだ。

 そういう風に向き合うことが真剣さで、いいことなのだと思ってしまいそうだが、それは警戒しなければならない。ストーカーの愛と同じで、自分本位で勘違いした真剣さなのではないか。そのような勘違いで追い込まれて行っても、ストーカーの愛が叶わないのと同じように、とことん行ったら行った分だけ余計に悪いということになる。

 この集団というのは、新人にとても熱烈な歓迎をしてくれるけれど、これを当たり前だと思ったらいけないということも思う。

 メイドカフェでいらっしゃいませご主人様と言われて真に受けていたらいけないのと同じで、これが当たり前だと思うようになったら、外の世界でしいたげられていきる当たり前の生活がうけいれられなくなって、断酒会の中でしかいきられず、仕事をなげうって一日中つながるしかない人になると思う。それは、ある種の廃人だと思う。そうなった上でもはやチヤホヤされなくなって外に放り出された時に、完全に人生が詰んでしまう。ある意味では、断酒の世界に入ろうとして仕事を奪われ色々うしなうのであれば、それはアルコールと同じくらいその人にとっては危険なことだったことになる。そうならないような適切な間合いで関わることが大事だ。アルコールとの間合いとも似ているかもしれない。外の世界でしいたげられている我々が、ここでは思い通りでチヤホヤしてくれるというそんな世界に、のめりこむのは当たり前のことで、これはアルコールに匹敵するぐらいある意味では危険な誘惑であることも一応頭の片隅に置いておく必要はあると思う。