自分が認められても

自分が誰かに認められても、

その誰かに映っている自分は自分の中にある、

どこか両義的な自分のイメージと一致しないから

本当は理解されていないと思うのかもしれない。

 

自分自身のことをすごいと思っている自信家は

人にすごいと思われることが自分を理解されることだと素直に思えるのだろう。

 

自分自身のことをひどいと思っている自虐者は

人に悪事を働いてひどいと思われることで

自分の自己イメージと相手が持っている自分へのイメージが一致して、自分を理解されたと思うのかもしれない。

 

その間で両義的を抱えた人は、

すごいと言われてもひどいと言われても、

相手は本当の自分を理解してくれていないなと思えて、満たされない。