私は、三か月なのにそんなところにまで気づいているのかと、芯を食っていると言われるようなことを言っていたらしい。
でもまあそういう意味では、酒をやめているなかでどんどんいろんなことを気づいていくというのはその共同体の一つの巨大な身もふたもない幻想なのかもしれない。ものをちゃんと考えられる健常者のような思考をする人にしてみれば、酒でぐちゃぐちゃになった人がいくら酒をやめられたからといってたどり着かないような失っていない健康な思考というものがあるのではないかと思ったりしてしまう。不謹慎だけれど。
酒をやめていくというのは、ゾンビになってしまった人間が人間にもどるようなかなりのむずかしいことだと思う。ひどいゾンビになったひとほど立派な人間になれるのだという共同幻想がなければ、ゾンビとなってしまった人達が希望を失わずに節度を保っていくことはむずかしい。私の存在は、ひどいゾンビになっておらず長く酒を断っていたわけでもない立派な人間のように映ったとしたら、それは、途方もない駆除しなければならないふたをしなければならない敵のようにみえないだろうか。