哲学とは何かという話を東浩紀さんが昔、世の中にはすぐ得られる快楽が溢れている中、すごく時間をかけて苦労しないと得られない快楽を求める人もいて、そういう人に刺さるのが哲学だと言うような話をしていたと思う。
そうなんだなあと思う反面、私への刺さり方は少し違っている。
人が薬やスリルに快感を期待できないほど快楽に耐性ができてしまった時、なにをしてももう快感が麻痺して感じないという、強い絶望の中でもっとも深い絶望の底をついた時にそれ以上は落ちようもないという希望、これ以上は疑えないと言う希望をみつけるために哲学を求めるのではないか。
深い苦しみの中に希望を見出すというSM的な変態性がその時どうしても必然的に必要になるのではないか。