学習とか、短期記憶とか、不良とかいうことについて考えてしまった。
大抵の能力というのは経験を重ねて学習することで伸びていく。けれど、そういう努力に左右される前の、生まれつきの能力というものに興味がある人たちがIQというものに関心を持つ。IQは、勉強で上がったり経験で上がったりしないような要素をテストして図る。
私は、しゃべる能力というのは短期記憶を必要とするなということを最近思った。それが難しいから人はスピーチの原稿やメモをみながら話すのだと思った。けれど、スピーチでなくても、メモがなくても、人は話すときに話すべき内容をある程度何点か頭に記憶しながらそれを順に話していく。文章を書くときは、それはあまり必要なくて足りないところを読み返して補うことで構成できるように思う。
この短期記憶と、あと暗算能力というものが、人間の地頭という部分で非常に大きな要素なのではないかと思っている。けれど、それはSNSであれこれ書いているだけではほとんど必要がないのだと思う。使わないので退化するように思える。
学習という意味では、依存症というのは、ある種の学習によって生じていることを思わずにはいられない。禁断の果実の味を一度味わってしまう事で、それを学習してしまうことで、もう依存症になってしまうということだ。
地頭のいいひとは、不良になりやすいと思う。地頭のいい人は、不快をさけて快楽をより効率よく得ようと幼いころから遊ぶ。その結果、ズルすることを覚えたり薬やスリルに走ったりして、快楽を得るようになる。それを一度覚えてしまうと、快楽を得るために努力をしないといけないという、アメとムチが効かなくなり、教育システムにのっかっていけなくなる。快楽を得にくい、持てないとか体が弱いとか気が弱いのような性質を持っていた場合、そういう不良の遊びにはいれないことで、努力して褒められるとかそういうアメとムチのシステムにうまく適応しやすいのだと思う。結果として、あまり地頭の良くない人が優秀に育てられていくのだ。けれど、不良になってもおかしくないのにならなかった人とかには頭の良さでかなわないし、頭が良くないのに努力で優秀になった結果、酒や女や権力などの快感をしった結果として、大人になってからもう努力できなくなる人もいるし、子供のころ努力しなかった不良も結局頭がいいので人生では賢く強く生きるので結果的においぬかれたりするなどして、案外結局地頭が良い人にはかなわないのかなということになったりするのだろうなと思ったりする。