色々考えてもその後真逆の行動をしてしまう

 まあ一応、行動が変わることにはつながらない自分だとしっているけれど考えるだけ考えておこう。

 同じことを途中まで考えていつまでも似たようなところを堂々巡りしていてもしかたないから。

 自分は断酒で人助けを学んだとしても、それはネット人格で知的な発言をするために学んだ知識と同じで自分の身にはつかないのではないかと思ったりもするのだ。普段の生活にそれが活きないのではないか、そこでしかつかえない別人格になってしまうのではないか、と。ハンドルを握った時だけ性格が変わる人というのがいる。ネット上でだけ知的なことが言える人というのもいる。断酒会でだけ立派な人というのになるのではないか?と。

 でも、ネット上で知的なことをいうために学んだことというのは、実生活での自分の発言にもだんだん影響を及ぼして、人格の間の溝がうまってきている気がする。ゆるやかに別々の人格同士が結合しつづある。

 同じように、最初はロールプレイとして人助けを経験したとしても、そこで掴んだ体の感覚というのは徐々に自分になじんでくるのではないか。やろうと思ったら、できるようになるのではないか。そうしてやがて、自然にできるようになっていくのではないか。という風に考えることもできる。最初は、演じるだけであったとしても、本当の自分になっていくのではないかと。