つらい。しんどい

 何をやっても集中できない。ふと気持ちが虚しくなり、寂しい気持ちと心細い気持ちに心を囚われてしまう。今の今まで平気で生きてきたのに、今になって急に、今の暮らしが耐えられないほどつらく思えてならない。

 何とか繰り返ししのいできた。日々を先送りするように、そして深く考えまいとするかのようにやり過ごしてきた。

 けれどもどれだけ待っても、いつまでたっても元の暮らしには戻れないのだという気がした。とりかえしのつかないことになったという気がした。このままでは、生きていけない、いつかすべてがダメになってしまう。希望があるとしたら、助けを求めて助けてもらうことなのだが、いまやだれも私には見向きもしないのだ。自分も歳をとってしまった。価値がない贅肉の塊になってしまった。輝くようなアイデアもなく、人を引きつけるような才能もなにもない。私が助けを求めても、善意の人々ではなく対価を求めるハイエナが獲物をかぎつけてにじり寄ってくるだけだ。こわい。つらい。しんどい。

今週の後半の出張の準備

 今週の後半に出張がある。前泊の許可をもらって前日に現地入りしてホテルに泊まるための手配をした。経費がらみの仕事をしているので、じぶんも皆がやっているようにネット予約で移動や宿泊の手配をした。

 何年もやっていない気がしたが、履歴をみると一年数か月前に利用していた。その前は不明だ。コロナ渦だったし何年も利用していなかったとしても不思議はないかもしれない。

 確かに記憶があるのは、5,6年前に地元に帰ったときのことだ。そのころはまだ元カノと一緒に住んでいて母方の祖父も存命だった。新幹線の駅前のホテルに泊まって朝食を食べ、レンタカーを借りて地元の街を回ったのだった。その時はネット予約をしたと思う。元カノが体調不良になって一度チケットやホテルをキャンセルしたことも覚えている。チケットのキャンセル時に支払いをしたクレジットカードを提示する必要がありもっていってなかった私は一度クレジットカードを取りに戻ったのだった。ホテルは事情を理解してくれてキャンセル料不要としてくれた。そんなことを思い出してしまった。

 今週の後半に金沢に出張にいくことを元カノに伝えられないのが寂しいと思った。今年の頭に出張にいったときはそんな風には感じなかったのに、今は伝えられないのが寂しくてしかたない。

石丸伸二さんは同じ年齢だ

 自分はもう高齢者になってしまい、カラダも心も衰えてしまったという感覚が去年の秋ごろからずっとあるのだが、石丸伸二さんが同じ歳だと知るとなるほどまだまだ自分もこれからかもしれないという気がしてきた。

 三年ぐらい飲んでいたプロテインをやめ、一年ほど毎日つづけていた筋トレをやめ、一か月ほど毎日10000歩ほどウォーキングしていたのも同時に止めたとたんに、急に食欲がなくなり心も不調になり、心細くなって気持ちも弱ってしまったように思える。そのころにAPEXもやらなくなっている。注意力が落ちてきて車の運転も怖いと思えることが出てきたのもそのころだ。たぶんあのとき飲んでいた薬の作用もあるのだろう。

ひとまずシャワーを浴びて洗濯をしている

 午後からは歯医者がある。治療を受けている間、体臭がひどいと良くないと思い、シャワーを浴びた。

 シャワーを浴びると幾分気持ちが落ち着いてきた。自分は2021年には痔ろうが、2022年には上司に反抗したりメンタル発狂が、そして2023年には休職があって2024年にようやく落ち着いて仕事ができる状態になったのだという気がしてきた。まだ健康診断での再検査が続いているが、これからようやく一人前として年相応の能力を試されることになるのだと思うし、それなりのパフォーマンスを発揮していけるかどうかハンデなしの能力を問われるのだという気がしてきた。

何をやっても仕方ない気がする。けれど焦る

 何をしたらいいのだろう。何をやっても仕方ない気がする。けれども焦る。このままでは先がないという不安がある。なにがどう先がないのだろう。どんどん年齢的に限界が来る。自分の市場価値がなくなり結婚も転職もできなくなる。現状を抜け出すことができなくなる。閉塞感から抜け出ることができなくなる。でも今焦って今ある選択肢だけから決断してしまうと後悔する気もする。好機がそのうちやってくるのを待ったほうがいいのだろうか。チャンスがない状態で待てずに悪い球に手を出してしまうことを避けたほうがいいのだろうか。

いつか楽しい日がくるからと

 いつか楽しい日が来るからと今は我慢して、はやく寝てしまおうと。そんなつらい日がずっと続いていた気がする。何を待っていたのだろう。どれだけ待っても待っているだけでは楽しい日は来ない。

去年2013年2月15日ごろにアリーナが無くなった

 APEXのアリーナが無くなったのは去年の2月だったようだ。それまでは楽しくAPEXをやれていた気がする。アリーナが無くなり、急に勝てなくなった。それでもやっていたのだろうか?8月頃まではやっていたようだ。でも記憶はあまりない。

日用品を買い足したり、歯医者に行ったりすると良いのだと思う

 数週間前はそうして過ごして達成感があった。けれども今買い足すべきものも見つからない。欲しいものもない。行きたい場所も思いつかない。海を見に行きたい気はするのだが、実際に行ってみるのも骨が折れる気がしている。ウォーキングはしたほうがよさそうだ。だが気温が高い。夕方になってから行ったほうがいいのではないかという気がしてしまう。サウナに行きたいが、どうしてもというほどでもない。結局そんなにいってみたいところはないということになる。けれども部屋にひきこもっているのも息苦しくなってきた。息が詰まり、愛がない。ここには何もない。いままでもそうだったのだろうが、今は特にしんどく思える。楽しみがない。

土曜日だ。疎外感がすごい

 世界から置き去りにされたように感じる。孤独だ。便利な世の中だと思う。しかしコンビニにも、スーパーにも、愛はない。あしらわれている感じしかない。もちろん自分もそれを期待していない。だからつらい。次第に乾燥してヒリヒリするか、ジメジメとした感傷がわきあがってくる。

靴流通センター

そういえば靴流通センターにいったんだなと思い出した。ツイッターで連絡取っていたのだと思う。今はログ残っていない。ポルトファーロに履いていくための靴を買いに行ったのだ。おれが支払えばいいのに自分は払わなかった。共通の知人からのプレゼントという形になった。帰りにびっくりドンキーによったのだと思う。払えばいいのになぜ払わなかったのか。セコい人間だよおれは。

自分の過去の記録をさかのぼる

 資産推移や、チャットやメッセージのログ、書き込みなどを遡ったり周辺のスーパーや薬局の開店や閉店のタイミングを検索しなおしたりして。モスバーガーグルメシティ、スーパーに薬局。いろいろな店がなくなっては新しくできた。自分のライフスタイルにはどんな影響を及ぼしただろう。それらの時期にはどんなふうに過ごしていたのだったろうか。どこでどんなパンを買い、健康診断にひっかかって保健指導をうけて以降はシャケおにぎりをどこで買ってきたろう。

 酒と安定剤に漬かって睡眠の質が悪くなって記憶が定着しない数年間を過ごしてきた気がする。すべての記憶をさかのぼって、失った生活の記憶をとりもどしていけば、不安や依存も薄れるかもしれない。

 2021年は、異動や精密検査などが続いて厳しい時期だったけれど、株は海運株やレーザーテックなんかが好調で、配当権利確定日周辺での急落が来るまではいい思いをしていたようだ。だがその急落で損切してダメージを受け、痔ろうも悪化してカネがなくなり手術も安い日帰り手術で受けたのだった。

 2022年は総じてカネがなく、安いミニPCを買ってゲームや転職活動やマッチングアプリなどに逃避していた。仕事もほどほどに前半は忙しく、後半は暇になって、最終的には幻聴が聞こえて発狂してしまった。

 2023年には休職をし、両親の助けも受け、何とか復活する。共通の知人に間に入ってもらい元カノと再会するも元のさやには納まれず経済的に自立した相手を探してマッチングアプリで何人かと会う。一人は気の強すぎる人、もう一人は金銭感覚が違いすぎる人だった。挫折を感じて元カノにまた手紙を書く。会う前日から食欲がなくなりあった当日の夜も食事が喉を通らなかった。会ったことは幸せだったはずなのにそれからどんどんメンタルは崩壊しだして、椅子の背もたれが突き刺さってくるだとか椅子が壊れるとかマウスが壊れる気がして椅子やマットレスなどを捨てて買い換えるなどした。車もスタビライザーリンクが外れて交換してもらった。仕事用のPCもキーボードが反応しなくなってきたので交換してもらった。薬が大幅に増えた。強い薬を大量に飲んでまぎらわす日々だった。一カ月ほど断酒もした。

 2024年は正月に初詣から帰って自宅にいるときに大地震に遭遇した。メンタルもおかしい状態で本当に怖い体験だった。飲み会が中止になったが翌日友人宅に集まって飲んだ。友人は両親ともに入院しており一軒家に一人で住んでいた。大変そうだなと思う。酒をやめていたがシラフでいられず飲ませてもらった。沢山貰い物のエビスビールが余っているらしかった。一月は飲まない日も半分ぐらいあったが飲む日は反動で沢山飲んでいたようだ。2月3月は6%の酒を飲み、4月以降は5%の酒に減らした。4月末で薬も止めた。けれども4月末や6月頭の血液検査では相変わらず数字はまだオーバーしていた。

 今日は数カ月ぶりに休肝日にした。昼にはすき屋にねぎ玉牛丼を食べに行った。コンビニに寄ろうとしたが駐車場が満車だったので酒を買わずに休肝日ということにしたのだった。酒を飲まなければまじめに仕事や過去とも向き合う時間ができる。罪悪感のない夕方を迎えられる、ということを感じた。

薬局なっているスーパー

あの元スーパーが薬局になったのは一年少々前の事だったようだ。それまではスーパーはあったということになる。だから自分が発狂しそうになっていたころにはまだスーパーはあった。けれどコンビニに買い物に行った記憶がある。コンビニはまだ値段が安かったろうか?最近行くと何もかも信じられない高さだが。

元スーパーも新スーパーもある状態で自分はどちらでもなくコンビニに行っていたというのが不思議だ。車を走らせる必要があるのにそんな余裕もなかったかもしれない。コンビニの中で比較的安いローソン100ストアにいったりしたのはそのせいかも。しかしそれもなんのためだったのか分からない。

とりあえず生きているしかない

 死ぬほど健康がやばいかといえば、まあ内臓はよくないのだろうけれど、ひとまず生きていられる状態ではある。

 頭もなんとか、薬をやめてしんどいが、かろうじてなんとか生活したり仕事したりできる状態ではあるのだから、無理しすぎない程度に休み休みやっていけば、少しずつ調子ももどってくるのではないかと思う。強いストレスにはもうさらされていないのだし、自分がおかしなところにとびこもうとしなければこのまま平和に暮らしていく事も可能と言えば可能なのだと思う。

きつい。何もしたくない

 何もする気が起きないが、朝9時に9000歩ほど散歩し、12時すぎにスーパーに買い物にいった。仕事はほとんど進まない。すすめられない。やる気も起きない。自分は役に立っていないと思う。それは知っている。逃げ出したい。また転職したくなっている。4年弱ほど続けてきたのだが最初期のころの実装の記憶があやふやだ。時間をかければ自分の頭でなんとな書いた程度のものなのだから、今の自分にもなんとか読み解けるのだろうけれど…。

ブログが2021年までつづいていたばかりか

 5chのスレへの書き込みも、2021年の少なくとも半ばごろまでは続いていたようだ。

 自分の記憶では2018年頃には何もかも削除してやめていたと思っていた。そうではなかったようだ。2021年と言えば、CTスキャンやMRI胃カメラや大腸カメラ検査の果てに痔ろうの手術を受けた年だ……。コロナ渦であり、元カレもいなくなり、一人で先の見えない日々を過ごしていた頃だったはずだ。