気楽にやらないといけないなと思った

 だんだん、断酒の会に参加するのがしんどいという思いがかなり強まってきた。もともと、会が終わるとスッキリするものの会にいこうとするとしんどいという気持ちはあった。初回の会場であれば、まだなにもわからないので、知的好奇心もあるしどんな人たちがいるかわからないこともあるからいく事ができたのだが2回目3回目となっていくにつれ、会う人の顔がわかるので、今日はこの人たちとうまくいくかなという風にイメージが湧くようになり、なんとなくうまくいくという確信が持てなくて、行くのがしんどくなるという気持ちが高まってくる。

 たぶんだれでもそうなんだと思う。それに対して、会は新しく来た人を熱烈に歓迎してほっとかないという方法で、受け入れ体制をしっかり構えてくれている。けれどそれは回を重ねるとだんだん剥がれてくることも確かだ。はじめてきました、と名乗らない場合には、はじめての会場でも歓迎されないことがあるので、それはなんとなく分かる。人間同士だから、あたりまえの状態であって、だれのせいでもない。

 で、自分は中に溶け込めないのにそこになにしにいくんだろう、という風に考えた結果として、自分は酒をやめられないからそこにいるんだということを思い出すけれど、だったら真剣にそこにとりくもうとして、謙虚さをもって自分の悪かったところを反省しようとする。そのとき、まわりにとけこめないなと思えば思うほど、もっと真剣にやらないとという気持ちが焦りと共に高まって来て、謙虚さというのをとおりこして、自己卑下とか、自虐といっていいほど、自分にきびしい言葉で自分の悪い部分を掘り起こし始めて、その話をしていけばいくほど、どんどん自分の自己イメージが悪化して、自分が本当にダメだという感じがするとともに、かろうじて自分をたもつために身にまとっていた心の鎧をすべて脱ぎ捨てて全裸になって大勢の前に丸腰全裸で土下座しているかのような屈服した心境になって、SMじゃないですが、女王様に服従させられている許しを請う奴隷のような気持にさせられて、心がボロボロになってつらくなるということが起きるようになってきたような気がする。こういう風な、自分を傷つけるような間違った真剣さというのは、このままではよくないらしいことが分かって来て、自分のひどい過去を笑い飛ばせるようになることがとりあえずの目標という話も聞いたりもしたので、そういう風に気楽な気持ちで話せるようになることを目指して、それを最初の目標にしながら少し気楽にやっていけたらいいのかなという風に今の時点では考えている。