あの人は相手を変えようとするタイプの人ではない

すごく思ったのだが

あの人は相手を変えようとするタイプの人ではないと思う。

合わなかったときに、相手を変えようとはしない。それはそれで誠実さではあるけれど、相手を自分とはまったく違う人間である、間違った人間であると言う風に仕分けて、その人の存在を自分の人生から抹消していくような、そんなタイプの人である恐れが自分の中に少し残る。そういう人が、ときどき現れる気がする。

違いを探したり、合わないところを探したり、あるいは相手を悪人に仕分けて、自分を正当化しながら相手を冷たく切り捨てていくための納得を自分で作り上げていく。

 

しかしそれは、まさに今自分がやっているこの文章のようなことでもある。

そういうところは実は似ていると言えば似ている。それが残忍なことだと断罪できるほど自分自身は潔白でないと言うか、まさに同じ罪をいままさに自分が背負って行っている。その人と直面したときの、自分自身を自分は相手の中にみて、自分の姿のおそろしさに怯えているのだ。