傾聴のための色々なテクニックというのがあるわけだけど、それはみな、
これを満たしていれば相手は気持ちよく話してくれるという見せかけのテクニックという側面もある。これが身につくならいいけれど、私は、生きているとつい忘れてしまう場面や忘れてしまう日がくると思っていて、それでは元も子もないと思う。
私が思うのは、この表面上のテクニックよりもその内側にある、相手への強いコミットメントというか、関心、同じ側に身を乗り出して立ってみる、追体験のように共感してみるという感受性を持つことが大事で、そちらができるようになれば、このテクニックのような行動は、何も知らなくてもそこから自然に展開されていくようなものなのではないかという気がしていて、いまのところ、そうでないような例外をあまりみつけられなかった。自分がそのような感受性をどうやってもてるのかは課題だけれど、大事なことは、小手先の技術ではなく本当に相手の話を聞く人間になることが大事だという事だけは感じるに至った。