つらい。ストレスを感じる。立ち上がろうとすると腿が筋肉痛だ。昨日、ダンボールを片づけたり衣類を捨てたりしたときに立ったり座ったりを繰り返したために、久しぶりに筋肉を動かして無理がでたのかもしれない。
ものを捨てたり片づけたりすることを考えると、将来の暮らしにどうしても思いをはせることになる。いつか引っ越すとき、いつか誰かと一緒になるとき、などのように。それと同時に、これを買ってくれたり使ってくれていた元カノのことを思い出す。もう捨ててもいいのだろうか、もう二度と一緒にはならないのだろうか、などと考えるとつらくて納得のいかない気持ちになる。寂しくなる。また一緒に暮らしてほしいと思ってしまう。でもそれはもう無理だし、一度やってみてダメだったのだからもう一緒にならないほうがいいのだとも考えられる。
それに、どれもこれもまた買いなおせばいい。それに、捨てるにしても、今すぐに捨てるわけでもない。次の引っ越しまでの間で捨てられればいいのだと思う。
ものを大掛かりにすてるということをやろうと思えばできるとわかっただけでも、昨日はよくがんばれたという風に思える。峠は越えて、あとの残りはなだらかになるはずだと思う。
食欲もなく、憂鬱で仕方ない。本当にこのまま病院にいかなくてもいいのかな、とふと思ったりした。でも薬を飲んでいてもつらい時はつらかった。行動して解決できないと何も良くならないのだろう。でも、解決しようとして元カノとよりを戻そうと頑張るのは正しくない。違う出会いをみつけられればいいが、刻一刻と自分は賞味期限切れになっていく。転職ドラフトで評価されて自信を得たい。ありのままの自分に価値があるという自信をとりもどしたい。それをとりもどせれば、マッチングアプリでも積極的に活動できるような自信を得られるかもしれない。でもそれは転職ドラフトでなければならないだろうか? 普通の転職活動でもいいのではないか? わからない。
ああ、いままでずっと一人で暮らしてこれたのに、どうして急に、こんなに一人が苦しく思えるのだろう。