生きている意味とか生きる希望をどう見出していくかが問題なのかなという気がする。自暴自棄にならず、将来を健康にすごしていきたいと思えるようになるためには、未来への期待が必要になると思うのだ。未来にこういうことがあるから、いまよりも幸せになれるというイメージがなければ、建設的に生きていこうと思う事が無意味に思えて、自分の中に矛盾が生じる。自分の中に生じる矛盾が、苦しみなのだ。
昨日、車内のラジオで山崎怜奈さんが誰かの紹介で、~だから自分の中に矛盾が生まれないんだろうなというコメントをしていた。自分の中で矛盾が生まれること。それが苦しみなのではないかとふと思った。一昨日、ユーチューブでたまたまある宗教団体の元指導者が、世の中のすべてが苦しみなのだということを延々言っているのをちらっとみたことと結びついた。苦しみとはじゃあなんなのか。それは矛盾だと思う。なんらかの矛盾が苦しみを生む。自分の中での矛盾が悩みを生み、世間と自分の間での矛盾が不幸を生み、社会と個人との矛盾が事件を生む。政治と政治の間の矛盾が、戦争を生む。人間が論理によって生きている以上、論理の矛盾に常にさらされる。すべてを説明できる論理は存在しない。万物を説明できる公式は存在しないし、体系は自分自身を説明できる完全性を持ちえないのが、不完全性定理の導いた結論だ。人間は無数の論理を作っては壊し、つぎはぎしながら生きていく。そこで常に矛盾との駆け引きにさらされる。
生きていくという事は、常にその再構築、アップデートの連続になる。東浩紀さんの言う訂正可能性ということもそのことだと思う。