むずかしいと思う。
今自分は抱えていた色々な懸案を解消したような気がしている。だから余計に欲が出ている。いままでは手が出なかったこと、考える余裕がなかったことを考えたり、手をのばしたいと思える余裕がうまれてきたはずだ。しかし、そのことの安堵とか、満ち足りた余裕というものはすぐに不感症になって実感から消えていく。
いまあるものプラスアルファを望んでいたはずなのに、いつのまにかいまあるものそのものを、不感症ゆえに手放してしまいそうになる。かつてはそうして一人に戻ったのだったのではないか。そして失って初めてそれが得がたいものだったことに気づく。自分がより満足するためにそれを捨てるのは実はとんでもない思い違いだったことに気づく。それがあってはじめてより満足を探せるようになった自分を支えるものそのものを捨てて、最低限のものさえ足りなくなってしまうことになるような過ちだったと気づく。お金があるから老後を考えるようになり、老後のために投資をはじめて、そしてあったお金をすべて投資に回したいと思った結果、すべてを失って、今度は老後を考えられるお金の余裕そのものを失ってしまうみたいなことに似ている。そのためを思ってやったことが結果的に、裏目に出るどころかそのことを考えられる余裕そのものまで失うような失敗をまねいてしまう。こういう間違いをどうやって避けたらいいのだろう。余裕がうまれた状態の経験が少ない。利確した後の正しい振舞い方をあまり知らない、というようなイメージに近い。だからすぐにそれを増やそうとしてすべてを失ってしまう。