我を捨てるということ

早朝7時の立川の駅でホームへの階段を登ってくる人混みを横目に思った。みなロボットのような足取りで歩いているけれどきっとロボットになりきれたほうが幸せになれるのだろうなと。

あなたの事が好きだきらいだと思わずに他人に興味も持たず交換部品のように扱い扱われてバケツリレーのように仕事を回していけばいい。そこには迷いはうまれなくなる。

 

もしかしてあの踊りは、そしてあのバイトみたいな役割は、それを教えるためにやってくれているのかもしれない。

 

我を捨てて自分など歯車に過ぎないという感覚に、なれれば救われるよと言っているのかもしれない。自分をささげよと言っている。自分の願いではなくあなたの願いをと言っている。それは端的に言い換えれば、我を捨てて歯車になりますという誓いによって救われるよということなのではないか