長期的な経済的な幸福度というのがあるだろうと思う。
どんな幸せ、どんな生き方を目指すにしても、生活ができることは必要不可欠で、この長期的な経済的な幸福度が重要な軸にならざるをえない。
その長期的な経済的な幸福度は、しかし健康でなければ意味がなくて途中で死ぬ前提だと、意味をなさない。
そんなわけで、続けられる仕事をしながら、健康でいつづけるための判断をし続けることが大事だなということが納得されてくる。
職場で居心地悪くならないように続けていけるためにはどうしたほうがいいのかということや、健康でいつづけるためには、どういう生活をしていけばいいのかということが見えてくる。そのことは分かっているのに、なぜか今だけはいいやとなって、真逆の行動をとってしまうことがある。
受験が近いことが分かっていても、勉強しない事を選んでしまうのと同じように。
それは正常な判断能力に支障をきたしている状況なのだと考える時に、薬やアルコールの影響さえなければ、正常に判断できるのだろうか、というと、
実は、それだけではないし、ましてやこれは別に勉強するしないの話に限ったことではなく、あらゆることで同じような判断エラーは起こっているし、勉強がとてもできる人でも、なにか痴漢でつかまってしまうとか、あきらかに正常でない判断から逃れられない場面というのがあるようだ。