街録というのを見ていて

街録というのがたまにおすすめにくるので観ていた。健康から生活を守るとかいう本の著者がでている回で、氏は同じ年齢で、東大理三のエリートで、東浩紀さんの会社でスタッフをされたり、科学哲学に興味があったり話もテンポ良くて面白く、結婚もされ子どももいらっしゃるという方だった。色々なことを感じた。

酒やタバコについても言っていた。酒もタバコも害はあって危険だが、それをあえて楽しむ生き方は否定できないというお考えだった。

まともな考え方だと思う。それに対して私のこれまでの考えは、甘かった。何か酒やタバコによって正気を失っているのだ、という考え方をしていた。でも実際の判断をしていたのは、自分だと思う。酒やタバコがあってもなくても自分は大きな意図せざる間違いを起こす。その責任は酒やタバコのせいにはできない。

最近では結婚や年収の問題だと思っていた。結婚や年収さえちゃんとしていればいいのではと思った。それは転職活動やマッチングアプリで結果を得られるはずだと。でも、どうだろう。今の自分の中身で結婚や年収を得ても、持続できる可能性があるだろうか?私は、人に見せられるような中身ではない。ヤバくて、一足飛びに結果だけ得ようとして、楽な方法や近道ばかりを選んで、足腰ができていない。得たものを維持していける基礎体力がないのに結果ばかり追い求めてきた。足元がおぼつかず、長期的には、ズッコケる危なっかしいヤバい人間だと思う。同い年の優秀な人を知って、ますますそう感じた。そんな状態だから、すぐにまわりに迷惑がかかってしまう。いい仕事をするとか、結婚生活を平穏におくるとか、子育てをちゃんとするとか、そんなことができそうな人間ではない。中長期ではかならず失敗して、最後には思わぬ不幸な死の方に向かっていかざるを得ない人生になると思えた。そのことを変える方法が、簡単に見つかるとは思えない。あまりにも大きな長い間違った育ち方をしてしまった。今の自分そのものがダメなのだなと思えた。

一方で、正常な判断とか合理的判断みたいなものの問題ではないということも感じた。そんなものに神経症的にこだわっても人間は幸せにはなれない。多少間違っていても、それを恐れずに自分なりに賢いと思えるベターな判断を繰り返していく事以外にない。正解があるのではなく、最善だと思えるものを選ぶことしかないし、それでよくて、間違わない人間というのもいない。みんなそれなりに愚かなのだから、神経症的に正気を絶対視してもそこにかならずしも正解はない場合も多い。ときどきエイヤッで決めたりしながらも生きていくしかないのだと思った。