言われているのは

俺という人間の未熟さなのだと思う。半熟卵のような状態で放し飼いの野ざらしになっている矮小な存在。卑屈であり高慢でもあるような危なっかしい存在。それが俺なのだろう。今日はたまには思いついたことをもう少し連想ゲーム的に書きなぐって行きたい。何も考えていないような毎日を送りながらも俺の中にはここ数年で何か変化はおきたのか否か。そう焦点はいつも自分自身なのだ。自分のことしか考えられない。自分が、自分は、自分に、何が?いつもいつも人の目ばかり気にしながら反面人目のつかないところでは大いにズボラなのだ。そして退廃的ですさんだ生活を送っている自分を恐れている。そうだ心配だ。将来はこんなことでいいのだろうか?一体どこかの時点で生活が完全に再生不能なほど荒廃しきってしまうということがあるのだろうか?それともそれよりも先に何らかの理由で野垂れ死にする運命なのだろうか。全く皆目見当もつかない。暇さえあればその暇が嫌になり酒を飲んで今を忘れようとしてしまう。今が怖いのだ。怖いのはいつも今なのだ。苦しいのはいつも今なのだ。今は恥ずかしく、今は劣等感が強く、今はおどおどしている。出来ればそっと隠れてしまおうとするだろう。何事もないようにそつなく回避して、やり過ごしていきたいだけなのだ。毎日が過ぎ、刻一刻と時間をやり過ごして行った結果として、人生そのものがやり過ごされ、後戻りできない衰えの中で一体どこをどう取り違えて自分の人生はこうなってしまったのだろうと慚愧の念に堪えなくなることだろう。